日記再開しました🌸
- 4 時間前
- 読了時間: 4分

世の中の急激ともいえる変化に対応するべく
私の発信ツールも変化させて正直苦手なSNSでの発信を重点的にしてましたが、
あともう数年でSNSも無くなるという予測も出て来た昨今。
まだまだ時代の急速、いや急激な変化はしばらくありそうです。
そうしてみると、この場所。
ネット上にこのホームページがあることの必要性
重要性を再び感じ始めているところ。
昨年秋頃に会員制にしたりネット環境を整えて
ほんのちょこっとだけ発信したまま、年末の忙しさのまま年が明けて、
やっとまたここで静かに日記を再開します。
私的探求心、好奇心から始まった歴史やスピリチュアル、都市伝説、陰謀なんかの考察や
アウトプットの場だったnoteも終いにしたのは、私の中でそれらの答えのようなものがやっと出たから。
沢山調べて考察して探究した事で変化していった今
あきらかに数年前の私とは違っていて、
また新しい考え方で世の中が見えるようになりました。
それはとてもシンプルで漠然とした不安もなく、今までで一番すっきりとしている。
それが山の頂上ではなかったとしても、開けた小高い丘から世の中の景色を眺められているのは確かだと思う。
前にInstagramでスピカタブラにも書いたけれど
きっとSNSツールの形式やその使い方も更に違ったものに変化してゆくのかなと思う。
私はただ自分の仕事の延長として、愛芽としての発信がしたいだけなのだけど、
Instagramなんかのツールは、興味はあったとしても特にこちらから求めていない膨大な情報が勝手に流れてくるので、とてつもなく自分の思考時間を奪っていく。
それが自分にとって必要な場合、新しい発見の時もあるけれど、正直毎日眺める程ではない。
自分の発信、その反応をチェックするついでに、ついそれらを見てしまう思考誘導にも疲れる。あの人はどうしているか、あの人は何をしているか。その情報はごく身近な人だけで良い。SNS上では人と人との距離感がハチャメチャになり易いなとも。
その距離感を正常にするのはやはり直接会っているか、直接連絡を取り合ったりしているか、そんな事が重要だなとも思う。
つい先日もそれを感じる出来事があった。
私は正直ブログは好きなのです。ただ私にとって今日あった事を思った事感じた事を記録しておけるツール。得意ではないから凄く時間もかかるのだけど、こうして頭を使って考えながら書いていると、頭の中が整理されていく。
仕事としての側面と共に承認欲求は少なからずあって、そこから始まったけれど、今はそれとも違ったような心持ち。
というのもInstagram等のツールは、個人的に誰が、何人が見てるとか、どれだけいいねがつくかとか、フォロワーが何人いるとか、可視化されている事はそれだけではなく、文章の書き方や投稿の仕方で発信者がどんな人なのか、どんな思考の持ち主なのか、はっきり解ってしまう。私の探究心がどうしても働いてしまって、ついSNSも細かくリサーチしていまう。この人は以外にもこんな思考を持っているのかと気づくと勝手に苦痛になったりする。
ただただ勝手に。
結果その苦痛に感じる先には、Instagramだけでなく他のSNSツールを覗いてみても自己顕示欲や承認欲求の塊のような人たちの発信が8割9割占めていて、そうした人たちがアルゴリズムにのっとったインフルエンサーとなるよう設計されている事も解った。
個人的に私が良いな好きだなと思う発信は、その中に外れている1割2割だったりする。
だから必然的にAIは私の趣向にあったほのぼのする動物の動画とか、ジュエリーの制作風景、作家作品をお勧めしてくれるので、平和だし、決して不快にはならないのだけど、あまりにも膨大なお勧めを毎日せっせと出してくれすぎて、「もういいよ。」とも心で突っ込んでみたり。w
こんな事から、もうそうしたもの自体がどうでも良くなり、同時に私の思考の大半を占めていた「そらのたね」の活動も一旦一区切りがついて、「そらのたね観測室」として愛芽の小さな懐に納まる活動に変化できたので、またここに戻って、ようやく落ち着いて日記を書きたいなと思います♪
長くなりましたが、その記念すべき投稿の始まりの写真はスーパーで買ったネコヤナギと桜。
私はお花はほぼ地元のスーパーで買っている。農家さんの名前が書いてあるのも身近に感じられていい。
ネコヤナギのふわふわした花穂が可愛くて購入。
猫の気ままな性格や、冬の寒さを乗り越えて春に花を咲かせる力強さから、
花言葉は「自由」「思いのまま」「率直」「努力が報われる」「親しみやすい」「開放的」。
不思議にも今の私の心境に近かったから面白い。















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