何を考えるかよりも何を見ているかで生きる世界が変わる
- 16 時間前
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展示会が終わって一気に真夏の暑さがやってきましたね。
私はと言えば余韻に浸る間もなく次の日から、朝の涼しいうちに草刈りをしたり、オーダー作業に取り掛かっています。合間に年末に向けて下半期にはどんな宝石で創作しようかとルース選び。まずはお客様のご要望でガーデンクオーツを入荷して、先週末はブライダルオーダーの打ち合わせ💍✨
地区役員の会議や習い事の送り迎え等々、夏は夏で子供行事が関連する用事が重なって、先週もバタバタと過ぎていく日々です。
ここ数年でワンオペという言葉が生まれて定着、増えてるんだなぁと。
そう思うと私はずーっとワンオペみたいなものなのだけど、子を産んでからの3年間のワンオペが一番きつかったなぁと思うので、今は屁でもありません。
…そんなこんなで今回の記事のタイトルは最近私に刺さった言葉。
「何を考えるかよりも何を見ているかで生きる世界が変わる」
久々にまだまだまとめきれていないままの帝王学の一部をまとめたアウトプットメモです。
これを知ると、帝王学を学んだ人たちが見ている世界、生きている世界が理解できて、自分自身も高い視点を持つ方法が理解しやすいので、世の中の溢れんばかりの情報に右往左往せずにこの世界を眺めることが出来るようになると思うので良かったらご活用下さい。個人的には自己啓発本を読むより、この世界の構造を知った上での自分の人生、生き方とは?を俯瞰しながら、未来を進んで行けると思うのでお勧めな内容です。
視点で人生は変わる
-5つの視点-
これは「人は自分が見ているものによって人生が決まる」というもの。
多くの人は「考え方が人生を変える」と思っている。よく自己啓発形でも大体言われていたりしますが、それは帝王学的には間違いであり、嘘。
本当に重要なのは「何を考えるか」ではなくて「何を見ているか」が重要になる。
その理由はそもそも自分の考えは見ている景色で全然違ったものになるから。
認知の土台があって、ようやくそれを元に考える事が出来る。
同じ世界に生きていても見るものが違えば考えが別次元になり、人生そのものが変わります。テレビを見る人もいれば、SNSを見る人がいる、株価を見る人もいれば、学問を見る人がいる、会社を見る人もいれば、宗教書を見る人がいる、世界を見る人がいるがいて、文明を見る人がいる、そして宇宙を見る人もいる。
つまり、見ている高さが違うと生きている世界そのものが違う
帝王学ではこの視点の高さが基本になり、5つの視点に分けられます。
第一の視点、出来事
-人は出来事を見て生きている-
私達は毎日テレビやSNS、動画によって多くの情報を見ています。
株価、事件、事故、戦争、芸能人、炎上等々…
実はここに最初の落とし穴がある。大衆のほとんどは出来事しか見ていない。
「戦争が始まった」「○○が結婚した」「○○が辞任した」全て出来事。
SNSにおけるインフルエンサー達の炎上なんかは、自分の人生には全く関係なく、どうでもいい情報が多く流れている。戦争しかり本当はその後ろに必ず理由があるのですが、人間の脳は出来事だけ見れば十分だと思ってしまう省エネ機能がある。AIからすると知能が低いと判断されてしまうかもですね。
そんな人々を養分にして、毎日ニュースは新しい出来事ばかり流している。そんな事で人は出来事だけを一生追い続けるという仕組み。そう、そういうこの世界の仕組みを作ったモノが居てまんまとその中に居るわけです。
海を見ても波しか見ない人々
それを解り易く波を見る暮らしと例えてみる。
海を見ても波しか見ない人々。
でも波には必ず原因がある。風、気圧、潮流、気候。
つまり波だけ見ても海は理解できない。
世界も同じ、ニュースだけ追いかけても世界は全く理解できない。
言い方を変えると出来事を見る人は、出来事に振り回される
一方で出来事を生む構造を見る人は振り回されない。
正直、日々のニュースは追いかけなくていいし、むしろ大衆が知っている情報は知らなくていいし、関わらなくてもいい。
そうすると視点が一段上がる。これを知覚することが帝王学の第一歩となる。
第二の視点、構造
-画面を見ても意味が無い。裏側にシステムがある-
出来事しか見ない人は、世界を「点」で理解するので
ニュースが起きる、総理大臣が交代する、企業が倒産する。
これらの情報がそれぞれ独立した出来事と認識します。
視点が一段上がった人は突然「点」ではなく「線」が見え始め、
一つの出来事から10個の出来事が見えるようになる。
例えばニュースで円安を見ると、多くの人は「円安だ」で終わり、少し勉強している人は日米金利格差かなと思ったりする。ただ、経営者はこれを見て、輸入価格を考え、物流コストを見る、企業利益を見る、賃金を、設備投資を見る、金融機関の融資環境を考えたりする。
これが視点を引き上げる事、つまり全体の構造を引き上げる事
先ほどの波の例えと同じです。
更にITシステムの設計で例えてみると、ただ画面を見ていても意味が無く、画面の裏側にデータベース、プログラム、ネットワーク、OSがある。
見ている画面は氷山の一角で世界も同じ。イメージ出来ると思います。
私達が見ているニュースは画面。本当に動いているのは裏側のシステム。
ニュースを見ても原因は何か、その原因の原因は何か、その原因の原因は根幹か?
そこ迄掘り、もっと言えば原因を生み出す構造を見る。
解り易く言えば魚が死んだことより、海水温が変わった事の方が重要。
学校では魚が死んだことを学ぶけれど、帝王学では海水温の変化を見るのだ。
ただ魚が大量に死んだ、可哀そう。絶望、海を綺麗にしようで終わってしまう。
ローマ帝国の例え
学校で勉強してきた人の多くはローマは「蛮族に滅ぼされた」と覚えています。
でも本当にそうなのか。その蛮族は最後に背中を押しただけ。その前に人口が減り、税収は減り、軍事費は膨らみ、貨幣価値は下落し、官僚制度は腐敗し、地方統治は機能しなくなっていた。つまりローマは蛮族によって滅んだのではなく、構造によって滅んだ。
帝王学ではそこを見る。
今、移民問題が取沙汰されていますが、こうしてみると日本やアメリカ、欧州に見られる兆候です。だから歴史は繰り返す。
ここで一つ面白い事は、構造が見え始めた人はどんどん怒らなくなっていく。
「あいつが悪い」、「外国が悪い」と思っていた事が、「構造の中で動いていただけか」と解ってきます。先ほど取り上げた移民問題も単に移民が悪いわけではない事も理解できるので、SNSで流れてくる情報は単なる出来事だと理解して見れるので、その情報を見てもいちいち憤る事が無い。
社会や仕事においても同様に、部下が悪い、上司が悪い、社長が悪い、政治が悪い、そう思っていたものが、構造をみると全員が同じゲーム盤の上で動いていた事に気づきます。これは責任を無くすという話ではなく、世界の解像度が上がるという話。
それを解っていたとしてもやはり、対人の人間社会の中では嫌でも直接会話をしたりコミュニケーションをとらなくてはいけないから、むかむかっとイライラっとバカヤロウと叫びたくなる事も当然あるわけで(去年の私w)、どうしても視点が低くなってしまう。
なるべくそこから視点を離して一つ上の目線に立つようにすれば自分が苦手とする人対して、根本的な立ち回りや、接し方、距離感等を見直す良いきっかけとなるかもしれません。するとイライラがイラっに変わって、次第に許せるようになったり。
私は昨年それを学んだように思います。
もしかしたら以前にも書いたかもしれませんが、私は昨年から選挙の投票を辞めました。というか選挙に参加するのを辞めました。
それは、そもそもこの構造に一喜一憂しても何も変わらないと知ったから。それまでは政治家だった父の影響もあり投票には絶対に行かなくてはいけないものだと思い込んで希望を持って投票していたし、政治家に対して多少なりとも憤りも感じていたけれど、昨年はふと疑問が湧く事があって調べると、何十年経ってもそもそも投票しても私達には変えられない大きな構造がある事がようやっと理解できて、そこに参加する意味を感じなくなったのが真意。だから私も昔は言っていた「投票に行こう!」という言葉に一気に冷めてしまった。
それを正義だと思って活動するインフルエンサーや熱く語る政治家という構造も、巧みな大衆の心理をついた設計なのだと。そんな矢先にこの帝王学にも出会ったからダメ押しでした(笑)
ここで勘違いしていけないのは、そもそも帝王学は法律や道徳ではないので、人を裁く学問ではないという事。
視点を上げ、世界の解像度を上げる学問が帝王学
更に、此処まで視点を上げてもまだ終わらない、その先があるのが帝王学です。
現時点の世界の姿、奥行き迄は掴んだとしてもそれは三次元空間の範囲の話。
何故なら構造もまた変化するから。
万物は流転していくものであり、そこでさらに何を見ればいいのか。
此処で次に登場するのが時間感覚。
物事を四次元として捉える。私達の時間が一方通行に流れている感覚は、そう受け止めるようプログラムされているだけなので、科学的にはあらゆる時間が、同時に存在していると考える事もできて、人類の始まりから未来に至るまで、時間全体として丸っと取り込み、その中に自分も組み込まれているという感覚があっていい。
そこには構造よりも、もっと大きなものがあります。
第三の視点、時間
-100年後を見て文明と共に歩む-
多くの人は今、どのくらい先を見て生きているか。
今週、来月、一年後…ローンだけに関しては30年後かもしれません。
ただ、歴史上で業績を打ち立てた人は10年後でも30年後でもなく、
100年後、時には200年後です。
例えば徳川家康。
徳川家康は関ケ原の戦いで勝ったことが彼の成功ではありません。
本当の成功は260年続く国家の設計図を描いた事。国際環境の変化による外圧が無ければもっと続いていた設計図。一般の人は「あの戦いに勝った」という出来事、少し勉強した人は政治制度を見ます。帝王学ではその先を見ます。
この国の200年後はどうなっているだろう。。
その視点の上で参勤交代、武家諸法度、幕藩体制も全部が一本に繋がっていきます。
つまり、家康は制度を作ったのではなく、時間を設計したとも指摘でき、これが帝王学。
ここで現代に戻ってみると企業経営も全く同じで偉大な企業ほど100年、200年、300年のスパンでバランスシート(貸借対照表)を設計しています。
そうした企業は利益を最大化してきたのではなく時間を最大化してきた。
これは以前に書いた自分の物語を生きる、近い未来でまとめたので省きますが、100年、500年、1000年続いて来た企業は来年も、10年後、50年後、100年後も潰れなければいい。そこを考えていた。つまり「時間」をみていた。
ここに文明史が教えてくれる逆説がある。
文明と共に歩もうとする者ほど文明という大河に身体を預け派手な勝負をしません。逆に巨大企業や急拡大した企業ほど大河に身体を任せず文明史では短命です。これは偶然ではなく多くの人は成功を「高さ」で測ります。売上、資産、軍事力、GDP。
しかし帝王学で違うのは「時間」を取り入れて測る。
つまりどれだけ大きくなったかではなく、どれだけ持続したか。その時間感覚が評価基準に入る。ニュースやSNSは今日の話、最新の話題、炎上ばかりが注目される。株式市場も今日の市場しか流さない。
そうすると知らず知らずのうちに私たちは今日という牢獄に自然と閉じ込められているようにも見て取れ、帝王学はそこから脱出するものだったりもする。
すると今日ではなく10年後を、10年後ではなく100年後を、100年後ではなく文明を見るようになる。
ここでピックアップするのがシンガポール建国の父 リー・クアンユー
彼はただの政治家ではなく、資源もない、水もない、軍事力もない、そんな小さな都市国家を世界有数の富裕国家へ変えた人物。昔中田敦ちゃんの動画で解り易く彼を、シンガポールを取り上げていたので、是非視聴してみると言いです。
彼を象徴する言葉「私は次の選挙のことを考えているのではない、次の世代、次の100年、その先まで考えている」
ここに政治家と帝王の違いがあると言える。
リー・クアンユーが見ていたのは今日の拍手ではなく、100年後のシンガポール。
だから彼は人気取りに走らず、教育、クリーンな行政、治安、住宅、国家信用を重視した。
シンガポールには石油も、鉱物資源もなく、土地さえ殆どなし。
何を資源にしたかと言えば、人間。人材、秩序、信用を資源にした。
つまり彼は、国家を「人気取りの装置」ではなく、「未来を創る機械」として設計した。
ここに帝王学がある。
帝王学は独裁者や経営者が長く自分の立場を維持するためのものではなくて、文明と共に続く仕組みを残すものでもある。
更にここで満足するものではなく、時間が見えるようになっても帝王学ではまだ上を見る事になります。何故なら100年も200年も文明という巨大な流れの中ではほんの一瞬の煌めきにしか過ぎないから。
ではここから先何を見るべきか…。帝王学ではいよいよ文明そのものを俯瞰し始めます。
国家じゃなく、企業でもなく、市場でもない。文明。
ここから世界は更に大きく見え始めます。
第四の視点、文明
-文明を見る人は敵を作らなくなる-
世界地図を思い浮かべてみてください。
日本、アメリカ、ヨーロッパ、中国、ロシア…、大抵の人はここで思考が止まります。
そう国家を見ているからです。
勿論国家を見る事は間違いで無いのですが、帝王学ではここから更に一段上へ登ります。
帝王学では国家を見ません。文明を見ます。
例えとしてまたローマ帝国を持ち出してみる。
普通の歴史では「ローマ帝国は滅んだ」そう習いますが、これは実際には嘘。
確かにローマは滅んだけれど、ローマ文明は滅んでいません。
法律は残り、道路も残り、建築も、文字も、思想も残りました。
つまり国家は死んだけれど、文明は生き続けた事が重要になる。
此処を見るのが帝王学ともいえる。
その逆もあり、巨大な国家でも文明を作れなかった国家は歴史から完全に消えていった。
つまり国家の寿命と文明の寿命は違う。
ここで少しだけ視点を変えてみる。
私達が今、毎日使っている、スマートフォン、インターネット、AI、コンビニ、銀行、株式市場、物流。
これらは日本文明でしょうか?アメリカ文明でしょうか?何れも違う。
そう、これらは現代の文明そのもの。
つまり、文明とは国家よりも大きい。そして文明の中に国家がある
帝王学ではその全体をみる。
例えばAI。これをみると普通の人は、便利になった、仕事がなくなる、そう考えます。
経営者は、市場を見る、産業を見る、利益を見る、成長率を見る。
ただし帝王学でみるのは文明の変化。
教育、政治、軍事、宗教、恋愛、結婚、家族が変わる
文明のOS(オペレーティングシステム)そのものが書き換わる事を視る。
要するに文明の方向を見る。
こうして文明を見る人は敵を作らなくなってゆきます。
普通は対立ばかりに注目してしまいますが、文明を見るともっと大きな流れが見えてくるから。
人口減少、AI革命、エネルギー転換、資本の流れ
つまり各国は争っているようで、実は同じ文明の変化に対応しているだけ。
インプットにアウトプットを繰り返すだけのシステムと見る事ができます。
此処が見えると、歴史が突然一本に繋がります。
ここで重要な世界構造の文明記録はまたの機会にまとめたいと思いますが
金融、国家、資本、企業、AI
これらすべて本当は一つの話。そう一つに繋がっている。
過去私が書いた記事の「全ては一つ」という言葉は時を経てここにリンクしたから面白い。
実は文明という巨大な生命体が姿を変えているだけ。
なので、知識人たちが線を引く学問分野というのは予算をもらうためだけの利権構造にすぎない。本当は線なんて引けない。そもそもそんな線は存在していないのだから。
学問から見ているといつまで経っても文明の姿が掴めない。だから帝王学では日々の出来事を追わない。
知識人たちが解説するニュースや、人々が騒ぐ日々の話題は、庶民の為に提供されているエンタメであって、国家も、企業も追わず、文明を見る。
もし私達が100年後の教科書を書くとしたら、まず今日のニュースなんて小さな出来事をわざわざ書かないですよね。
AI革命、人口減少、金融システム、エネルギー革命、つまり文明を書きます。
帝王学は100年後の教科書を書く学問ともいっていい。
そして、ここまできて、出来事、構造、時間を越えて、文明までみるようになったけれど、
まだここで終りではなく、宇宙から見れば文明ですらほんの小さな出来事に過ぎない。
此処で視点は最後の階段を上る。
帝王学で最後に意識するべきもの。それは文明のさらに外側、宇宙。あぁロマンです。
第五の視点、宇宙
-人類という共同体へ辿りつく-
イメージしてみてください。私達は今地球から40万キロ離れた月の上に立っている。
そこから静かに地球を眺めている。
ここ迄視点を引き上げた瞬間、私たちが毎日争っている事が急に小さく見えてきます。
株価、円安、増税、選挙、SNS、炎上、宇宙から見ると全て地球という生命体のほんの一瞬の揺らぎにすぎない。
帝王学を学ぶというのは常日ごろからこうした視点を持つよう努める事でもある。
だから、怒らない、焦らない、騒がない。
何故なら視点が高いから。
そうして、本当に偉大な人程、視野を広く、宇宙を語っていく。
釈迦は一人の国ではなく、全ての人間の苦しみを見ました。
老子は一つの国家ではなく、自然そのものの流れを見ました。
ソクラテスは一つの都市国家ではなく、人間という存在を問い続けました。
アインシュタインは国家よりも、宇宙を見つめました。
カール・セーガンは国境よりも、「青い小さな地球」を語りました。
彼らは立場も、時代も、文化も違います。
でも一つだけ共通しているのは、視野が広がるほど、日々の怒りは減っていく。
国家を超え、民族、宗教を超え、最後には宇宙を語り、人類という一つの共同体へ辿りつく。これが本当の知性。
帝王学とは支配者の学問ではなく、俯瞰者の学問なのです。
例えば戦争。普通の人は勝った、負けた、そこを見ます。これは日々私達がそうした視点に向くようにニュースやドラマ、映画、スポーツあらゆるものから勝ち負けだけを強調したものや考えを洗脳のように見ているのも一つあると思う。成功と失敗も同様です。
しかし宇宙から見ると戦争は、人類という生物が限られた資源を巡って起こす一つの自然現象でもある。
これは戦争を肯定しているのではなく、俯瞰できるからこそ戦争という現象を冷静に理解できるようになるという事。理解できるから避けられるようにもなる。
経済も同じで、好景気、不景気、株価、金利、これも宇宙から見ると、文明という巨大な生命体の鼓動と捉えられる。
吸って、吐いて、膨張して、収縮する。その繰り返し。
だからバブルも、恐慌も、超インフレも、人類史では何度も繰り返されている。
それを知っているからこそ視点が高い人は大恐慌が来ても驚かない。
視点の帝王学
ここ迄見てきて解るのは、帝王学とは「一番高い視点から世界を見る学問」
目先の話はどうでもいい。文明を見る、時間を見る、構造を見る。
そして俯瞰する程、自分を見なくなってゆく。
実はここが重要で、一般の人は「自分」を中心に世界を見ている。給料、会社、家庭、老後…そんな自分で頭がいっぱいになる。
でも視点が高くなるほど、自分が小さくなっていって、代わりに世界が大きくなる。
自分を忘れる程、競争や嫉妬からどんどん離れていくから、逆に人生が豊かになって行ったりする。
「人生とは見ている世界そのもの」
皆さんは明日から何を見る人になりますか?
出来事しか見ない人は出来事に振り回される。
構造が見える人は構造を利用できます。
時間が見える人は未来を設計できる。
文明が見える人は時代を理解できる。
そして宇宙迄見える人は人類という存在そのものを、
「あぁまたやってるよ…どうしようもないな…」そんな気持ちも含めて
そっと愛せるようになる。
だからこそ帝王学の学徒は一番高い玉座に座る方法を、学んでいるのではなく
一番高い視点に立ち続ける方法を学んでいる。
長くなりましたが、これが今回の帝王学アウトプット。
こうした考えを人類皆が学んだなら、世界はまた違ったものになっているのかもしれません。そしてこうしたが考えが一般の人たちに共有されるようになった事も一つの時代、文明の現象の変化として捉えると、案外未来は立ち回り次第で人生を素晴らしいものにできるかもしれませんし、その為の計らいがちゃんと用意されているようにも感じます。
宇宙って凄い。。
今回はこの辺で。最後まで読んでくださりありがとうございました。
アブラカタブラ~🌱













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