朝の深夜食堂

6月の終わりころ位だったか、深夜食堂というドラマを初めてNetflixで知って視たら、それはもう私好みのヒューマンドラマですっかりハマってしまい、そもそも人気なのか2009年からスタートしてその後、シーズン2、3、4、更に映画、2019年にNetflix限定ドラマとしてシーズン5!のロングセラー。なぜこのドラマを知らなかったんだろうと思う位。思えは丁度私が独立した年だから、もうドラマどころじゃなかったようにも思う(笑)
25分位の空いた時間に視られる丁度いい時間も◎でたっぷりあるから日々の楽しみだったけど、とうとう今朝Netflix版の最終回も視終わってしまったところ。じんわ~り。
また最初から視たくなるくらい面白かった。
あの食堂の空気感がたまらなく好き。
小林薫も素敵すぎる。
名古屋に住んでいたころを思い出して懐かしくもなったり、
出てくる何気ない料理がまた美味しそうで、
暑い日なのに無性に豚汁が食べたくなって作ってみたり。
田舎に帰ってきてすっかり朝方で健康的な暮らしをしている私も
深夜食堂には何だか共感するものがあって
ちょっとだけ都会の良さを想う。
人情味が失われつつある今、
料理も絵も音楽も、ありとあらゆるものが、
普通に美味しいし、いい音楽だし、みんな写真も絵も上手だし、下手でもAIが代わりに描いてくれる時代。
もう行き着く先にいったような時代。
だけど同様に増えたのは
ただ美味しいだけ
ただバエるだけ
ただ上手いだけ
ただ綺麗なだけ
ただそれだけの物たち。情味もストーリも無いデジタルな感じ。
心にグッとくるものが減ってきたような。
もともと流行よりも誰も知らないお店や古くて味のあるものに魅力を感じる私なので、
情味が失われていくのは少し寂しくも、ホワイト社会が来るなら仕方なし。
けれども逆を言えば、そうしたホワイト化した社会に、本当に素晴らしく情味たっぷりの料理や音楽、映像、絵は時代を超えてもずっと残っていくかもしれないなぁとひょっと思った。だってホワイト社会のその次もきっとあるから。
そんなことを想いながら、なんの余韻もなくただ連日毎回膨大に過ぎていくSNSの投稿に何も残らない気がしてくる。
…「そらのたね」に関してはこれをまず立ち上げて形にしなきゃ広めなきゃという、ただそれだけの熱意と情熱でバシバシ投稿。実は苦手な事だったけど頑張った2年間。よくやったと自分をほめたい。笑
すると私の「面白くないな」が先に出てきて投稿が面倒になってきて、とても業務的になってくる。多分それ程自分の事(日常)を投稿したいと昔ほど思わなくなったのが一つの変化。今は作品を一番に観てもらいたい。想いを込めて、ただそれだけじゃない作品創りをしなきゃって、凄く思う。だから私の事なんて正直どうでもいい。
愛芽としての思考はそらのたねの活動とはまったく逆で、そこまで出かかっている創作のイメージがふっと降りてこないもどかしさたるや。ついついSNSに思考をとられているのが原因なのはわかっていて、投稿のバランスを計るのがとても難しい。
とかく何もない今月、来月は待ちに待った2か月で、もっと創作に集中したい私がいて、
Instagramの投稿はほぼほぼ休む気満々だけど、このブログの時間は大事にできるだけ毎日更新するぞ🌱
因みに愛芽のストーリー仕立ての作品ギャラリーがあります。
2年前にページを作ったまま、夏休み中にようやく去年位迄更新できました✨
良かったら過去の作品をご覧ください。
今日も一日お疲れ様でした♪
Comments